コーヒーのある日常 #6「綺麗な怪獣」with Cottea No.110

コーヒーのある日常 #6「綺麗な怪獣」

カーテンを開ける。窓の外、今日の太陽は、未だ藍色の空の下にもったいぶって潜んでいた。朝5時。春になりかけの早朝のワンルームは、まだ夜の余韻が空気に混ざって、静寂を湛えている。

僕は、世界で初めて身体を動かす人間のように、全身の皮膚に新しい日を感じながら、身体を大きく伸ばす。玲瓏とした空気を大きく吸って、そして吐いた。吐く息は白くはなかったものの、やはり、まだ寒い。

ファンヒーターをつける、と、静寂の中に、音が放たれる。少し、空間が動き出した。

僕はトーストを焼き、ジャムを塗り、リンゴをカットし、皿に載せ、お湯を沸かし、朝食を食べる。

一つひとつ、動くたびに、身体の筋肉がゆっくりと目を覚ましていく。

食事で身体の内部も温まってきたところで、コーヒーで仕上げをする。さっぱりとした甘めのコーヒーをゆっくり、ゆっくり淹れて、ゆっくり、ゆっくり、飲む。口、喉、食道を温かい液体が通過していく。夜通し、冷たく乾いた空気を吸い込み続けた内部は、それですっかり温められる。

僕は、8時に家を出れば会社には間に合う。こんな早い時間に活動を始める必要は無い。しかし、僕は、この時間をかけて目を覚ますプロセスが好きだった。

 

 

母、も、早朝にコーヒーを飲んでいた。

僕はその姿を一度だけ見た事があった。

 

僕と弟を産んですぐに離婚した母は、ずっと、女手一つで僕たちの世話をしてくれた。

 

母は、嵐のような人だ。

朝、起きなければいけない時間になると、僕と弟が眠る部屋にずかずかと入り、

「はいはいはいはいはーい」

なんて言いながら、わざと大きな音を立ててカーテンを開ける(そのせいで、何度カーテンが外れたかわからない)。それでも起きないときは、布団をひっぺがして耳元に顔を近づけ

「はいはいはいはいはーい」

と、中学高校と合唱部で鍛えたらしい腹式呼吸で容赦なく僕らを起こした。

昼間はパートで働きに出ていて、帰るのは夜だった。僕たちが学校から帰ってきて、のんびりゲームをしていたりすると、母が帰ってくる。食事の間は、宿題やったかだの、今日パートであんな事があっただの、くるくると話をした。夕食を食べ終え、部屋にいると「風呂だよー、風呂、ふろー」と、お得意の腹式呼吸で叫び、無視していると、部屋の扉をドカンと勢い良く開け、襲撃してくる。

 

とにかくバタバタ忙しく動き、喋る。

弟とは、よく「お母さんは怪獣だ」なんてことをこっそり言い合ったりもしていた。

 

 

怪獣のような母、だったが、ある朝、僕は母の別の面を目撃する。

小学校の5年生のとき、今日のように、冬と春の境目の時期だった。

ふと目を覚ますと、薄暗かった。時計を見ると、5時を少し過ぎたくらいだった。

早めに目が覚めてしまったとき、僕は無意識に再びベッドの中に潜って眠る。その日も同じようにベッドの中で小さくなり、眠ろうとした。しかし、一向に眠気は訪れない。僕は諦めて、リビングに行こうと決めた。

弟を起こさないようにベッドから抜け出し、廊下を通って、リビングに向かう。廊下にはコーヒーの匂いがうっすらと漂っていた。母は既に起きているのだろう。

朝に一人で活動する母、というものを見た事がなかった僕は、こっそり見てみようと、ばれないようにリビングを覗き込んだ。

「……!」

僕は、はっと息を飲んだ。

なんてことはない、リビングでは母がテーブルに座って、コーヒーを飲んでいるだけだった。

しかし、僕はその姿に釘付けになった。

いすに腰掛けて背筋を伸ばした姿は凛としていて、ゆっくりとマグカップを口に運ぶ動作はとても高貴な人のそれに見えた。母が空間に視線を向けると、その場所は輝き出し、母が呼吸すると付近の空気が上品に躍動した。これからやってくる太陽は、母を照らすために昇るのではないか、とまで思った。

その時間と空間は、確実に、母のためにあった。

「……」

そんな、怪獣とはかけ離れた母をぽかんと見つめていると、母は僕に気がついた。

そして、空間を満たしている繊細な何かを壊さないように、小さな声で

「おはよう」

と、僕に笑いかけた。思わずドキッとした。

僕は母に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「おはよう」と言うと、逃げ出すように部屋に駆け込んだ。

 

それ以降、僕は、早朝にリビングに行く事は無くなった。なんだか、見てはいけないものを見てしまったんじゃないか、と、思ったのだ。

 

僕は、就職で家を出るまで、相変わらず朝は怪獣に起こされたし、晩ご飯は怪獣と一緒に食べた。(実家にいる弟は、今でもそうなのだろう)

けれど、その怪獣の母の裏には、あの早朝の母がいた。

 

 

あれから20年が経った。

僕はその間に小学校と中学校と高校と大学を卒業し、就職のために親元を離れ、働いている。

仕事、家事、人付き合い、日々、様々な出来事がたくさん起こる。自分という存在が、社会や生活というものの中で常に外部と接触している状態になると、自分の中に自分でない物が段々蓄積して行く。

そんな中、早朝の時間は、自分が最も純粋な自分でいられる時間な気がする。

 

そう思うようになってから、時々、早朝にコーヒーを飲むと、あの美しい母の姿がよぎる。

あの姿が、最も純粋な母、だったのかもしれない。

 

怪獣、の、真の、姿。

 

ほんのりとした蜂蜜のような甘味と果物系の酸味がバランス良く取れており、さっぱりした口当たりのCottea No.110

あなたにとって最高の一杯のため。Cottea



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